おはよう。
一人目待ち
30代後半
タイミング療法
2018/09/05 18:49
赤ちゃんとさよならする手術をしてきました!
赤ちゃんの心臓止まってるよ宣言から約2週間。
まず、
妊娠の報告をした一部の友人や先輩に今回のことを話しまして…
最初はわたしの発言のせいで気まづい気持ちとかにさせてほんとやだなって罪悪感でいっぱいになりました。
だけどさ、
安定期入るまではトップシークレットなんだろうけどさ…
つわりで具合悪いのを誰にも言えず耐えるのが正解なのか?
なんなんだよ。
そもそもちゃんと赤ちゃんが育ってればよかっただけの話じゃん。
なんでわたしがこんな思いしなきゃなんないんだよ!
35歳の流産の確率が20%だとして、なんで5人のなかの1人にわたしが選ばれちゃうんだよ!
なーんてね(^-^)
世の中の不条理や不公平な世界…
そんなようなぶつけようのない思いに苛まれた日もありました。
でもそれって誰が悪いわけでもないししかたがないこと。
だから、考えたって仕方が無いよ。明るく生きようぜ。
ってこと。
2週間という時間をもらったことで、
気持ちの整理がつきました。
ただ、
魂の宿らない生命がお腹にいるということは、
いつ自然流産になってもおかしくなくて、
仕事中とか通勤中とか夜中なんかに大量出血になる可能性があるということ。
お腹がチクチクしたり、ガスがたまったりして怖かった…。
結果、
手術当日のきょうまで大丈夫だったのは、おなかの子の最後の親孝行だったのかもしれません。
勤怠もクリーンで行けそうだし。(奇跡)
そんなこんなで…
きょうは、人生ではじめての手術。
正直、とても不安でした。
とくに麻酔。
今回の病院は配偶者か肉親の付き添いが必須で…
実親と絶縁状態だもんで、
旦那が休みをとって付き添ってくれたからほんとうによかった。
薬局で売ってる中でいちばん最強のナプキンを買って病院へ。
12時30分に受付をして、オシャレな病室に通されました。
13時くらいに着替えをして、血圧や体温をはかって、
13時30分前には手術室にいったのかな。
とにかく、点滴の針が太くて痛かった。
心電図から自分の心拍がピコピコきこえる。
手術ってかんじ。
看護師さんがふたりいて、先生を呼んだ後、
「カルテがない!同意書どこ?」
みたいなかんじでバタバタしだして…
ま〇こ全開なのに一瞬先生(おじさん)とふたりきりになって気まづかった((((^-^))))
最後にエコーを見せてもらったけど、やっぱり大きさは2週間まえのままでした。
さようなら。夢をありがとう。
先生が
「はじめまーす」といって
ライトをピカー!っとさせた。
嗚呼…ま〇こ丸見えじゃんかー
嗚呼…まだ点滴の針のとこ痛いなー
とか考えているうちに
最後の記憶は看護師さんの
「6ミリはいりましたー」
ということば。
枕を動かしますねとか言われた気がして、自分で体制をなおしてるときに世界がぐにゃぐにゃになった。
きづいたら、
旦那のシルエットがぼんやりみえて、オシャレな病室のオシャレな天井の照明があった。
「点滴がなくなったら呼んでね」
って看護師さんに言われて、たぶんハイっていった。
後から思ったけど、
「6ミリはいりました」とは、きっと「麻酔は6ml」ということか。
たった6mlで人間てこんなふうになっちゃうんだ。
こわい。
そりゃ薬物投与とかで人は殺せるよなーと思った。
まだまだ意識が朦朧としているわたしは、
旦那の名前を呼びたいんだけど、くちびるがびりびりして動かない。
テレビの音が聞こえる。
おなかいたい。
生理二日目のやつだ。
どろどろ血が出る感覚。
生理二日目のやつだ。
瞼が開かないけど、少しずつ話せるようになってきた。
頭の向きをかえるとクラクラする。
「なんじ?」ってきいたら、
「14時まえ」だった。
30分くらいで帰ってきたんだなぁ。
点滴がなくなって看護師さんを呼ぶ。
まだ瞼がおもうように開かない。
「もうちょっと休んでてね。トイレ行く時は呼んで」と言われた。
目を閉じたまま旦那と少しおはなししてるうちに目が覚めてきた。
「メガネとって」っていってテレビを見たら14時34分だった。
台風21号やばい。(ミヤネ屋)
大都市オーサカの大惨事を見てるうちに尿意を感じてナースコール。
起き上がってみたけど…ふらふらする。
ひとりで歩けるけど…ふわふわする。
トイレにいくと出血。
ナプキンが優秀なのかおもったよりは多くないように思えた。
2ヶ月半ぶりの出血で、ちょっと懐かしかった。
看護師さんに「着替えちゃいましょうか!」と言われて着替え。
ふらふらしたので、ちょっと無茶したなーとおもった。
30分くらい横になって、
先生に診察してもらって、
お薬もらって、お会計して帰宅。
病院をあとにしたのは16時すぎでしょうか。
台風一過で天気がすごくよかったのと、
2週間の気持ちの整理期間とで、
帰りの助手席は健やかな気持ちでした。
最後の診察のとき、
隣の部屋から他の妊婦さんの心拍確認の音が聞こえて、
先生が「ごめんね」なんて言ったけど…
かなしいとかくやしいっていうのはなかったな。
うらやましいなー
ともちょっと違くて、
いつかわたしもあれできるといいなー
って感じでしょうか?
それくらい健やかな気持ちでした。
子供が無事に生まれたとして、
たくさんの自由が奪われるんでしょうね。
それを「絶望」なんて言ってたな。
つわりで具合悪いのまたやることになるし、
もしかしたらまたきょうみたいに手術することになるかもしれない。
絶望のために?
だけど、
これで諦めたら5年先10年先のわたしが絶対後悔する。
流産の手術のあとは妊娠しやすくなるらしい。
未来は明るいね(^-^)
束の間の自由をたのしむといたそう。
赤ちゃんの心臓止まってるよ宣言から約2週間。
まず、
妊娠の報告をした一部の友人や先輩に今回のことを話しまして…
最初はわたしの発言のせいで気まづい気持ちとかにさせてほんとやだなって罪悪感でいっぱいになりました。
だけどさ、
安定期入るまではトップシークレットなんだろうけどさ…
つわりで具合悪いのを誰にも言えず耐えるのが正解なのか?
なんなんだよ。
そもそもちゃんと赤ちゃんが育ってればよかっただけの話じゃん。
なんでわたしがこんな思いしなきゃなんないんだよ!
35歳の流産の確率が20%だとして、なんで5人のなかの1人にわたしが選ばれちゃうんだよ!
なーんてね(^-^)
世の中の不条理や不公平な世界…
そんなようなぶつけようのない思いに苛まれた日もありました。
でもそれって誰が悪いわけでもないししかたがないこと。
だから、考えたって仕方が無いよ。明るく生きようぜ。
ってこと。
2週間という時間をもらったことで、
気持ちの整理がつきました。
ただ、
魂の宿らない生命がお腹にいるということは、
いつ自然流産になってもおかしくなくて、
仕事中とか通勤中とか夜中なんかに大量出血になる可能性があるということ。
お腹がチクチクしたり、ガスがたまったりして怖かった…。
結果、
手術当日のきょうまで大丈夫だったのは、おなかの子の最後の親孝行だったのかもしれません。
勤怠もクリーンで行けそうだし。(奇跡)
そんなこんなで…
きょうは、人生ではじめての手術。
正直、とても不安でした。
とくに麻酔。
今回の病院は配偶者か肉親の付き添いが必須で…
実親と絶縁状態だもんで、
旦那が休みをとって付き添ってくれたからほんとうによかった。
薬局で売ってる中でいちばん最強のナプキンを買って病院へ。
12時30分に受付をして、オシャレな病室に通されました。
13時くらいに着替えをして、血圧や体温をはかって、
13時30分前には手術室にいったのかな。
とにかく、点滴の針が太くて痛かった。
心電図から自分の心拍がピコピコきこえる。
手術ってかんじ。
看護師さんがふたりいて、先生を呼んだ後、
「カルテがない!同意書どこ?」
みたいなかんじでバタバタしだして…
ま〇こ全開なのに一瞬先生(おじさん)とふたりきりになって気まづかった((((^-^))))
最後にエコーを見せてもらったけど、やっぱり大きさは2週間まえのままでした。
さようなら。夢をありがとう。
先生が
「はじめまーす」といって
ライトをピカー!っとさせた。
嗚呼…ま〇こ丸見えじゃんかー
嗚呼…まだ点滴の針のとこ痛いなー
とか考えているうちに
最後の記憶は看護師さんの
「6ミリはいりましたー」
ということば。
枕を動かしますねとか言われた気がして、自分で体制をなおしてるときに世界がぐにゃぐにゃになった。
きづいたら、
旦那のシルエットがぼんやりみえて、オシャレな病室のオシャレな天井の照明があった。
「点滴がなくなったら呼んでね」
って看護師さんに言われて、たぶんハイっていった。
後から思ったけど、
「6ミリはいりました」とは、きっと「麻酔は6ml」ということか。
たった6mlで人間てこんなふうになっちゃうんだ。
こわい。
そりゃ薬物投与とかで人は殺せるよなーと思った。
まだまだ意識が朦朧としているわたしは、
旦那の名前を呼びたいんだけど、くちびるがびりびりして動かない。
テレビの音が聞こえる。
おなかいたい。
生理二日目のやつだ。
どろどろ血が出る感覚。
生理二日目のやつだ。
瞼が開かないけど、少しずつ話せるようになってきた。
頭の向きをかえるとクラクラする。
「なんじ?」ってきいたら、
「14時まえ」だった。
30分くらいで帰ってきたんだなぁ。
点滴がなくなって看護師さんを呼ぶ。
まだ瞼がおもうように開かない。
「もうちょっと休んでてね。トイレ行く時は呼んで」と言われた。
目を閉じたまま旦那と少しおはなししてるうちに目が覚めてきた。
「メガネとって」っていってテレビを見たら14時34分だった。
台風21号やばい。(ミヤネ屋)
大都市オーサカの大惨事を見てるうちに尿意を感じてナースコール。
起き上がってみたけど…ふらふらする。
ひとりで歩けるけど…ふわふわする。
トイレにいくと出血。
ナプキンが優秀なのかおもったよりは多くないように思えた。
2ヶ月半ぶりの出血で、ちょっと懐かしかった。
看護師さんに「着替えちゃいましょうか!」と言われて着替え。
ふらふらしたので、ちょっと無茶したなーとおもった。
30分くらい横になって、
先生に診察してもらって、
お薬もらって、お会計して帰宅。
病院をあとにしたのは16時すぎでしょうか。
台風一過で天気がすごくよかったのと、
2週間の気持ちの整理期間とで、
帰りの助手席は健やかな気持ちでした。
最後の診察のとき、
隣の部屋から他の妊婦さんの心拍確認の音が聞こえて、
先生が「ごめんね」なんて言ったけど…
かなしいとかくやしいっていうのはなかったな。
うらやましいなー
ともちょっと違くて、
いつかわたしもあれできるといいなー
って感じでしょうか?
それくらい健やかな気持ちでした。
子供が無事に生まれたとして、
たくさんの自由が奪われるんでしょうね。
それを「絶望」なんて言ってたな。
つわりで具合悪いのまたやることになるし、
もしかしたらまたきょうみたいに手術することになるかもしれない。
絶望のために?
だけど、
これで諦めたら5年先10年先のわたしが絶対後悔する。
流産の手術のあとは妊娠しやすくなるらしい。
未来は明るいね(^-^)
束の間の自由をたのしむといたそう。
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