昭和19年のラブロマンス
二人目待ち
30代後半
ART(体外受精など)
2018/08/13 04:18
もうすぐ終戦記念日なので、祖母(母方の)の戦争中のエピソードを語ろうと思います。
祖母はオン年94歳でもう認知症?みたいになってるので話せません。
なので私が昔祖母から聞いた話を書き残しておきたいと思います。
昭和18年。戦争も激しくなってきた頃でしょうか。
7人兄弟の5女だった祖母(仮に幸子さんとします。当時20前後)は電車で町に買い出しに出ていました。
帰りに切符を拝見、と若い駅員さんがやって来ました。
その時に、その若い駅員さんに
「どこで降りるのですか?」
と聞かれたので、幸子さんは、
「○○駅です」
と答えました。背が高く整った顔立ちの凛凛しい男の人でした。好男子というんですかね。
帰宅して着物を畳んでいると、袂から折り畳んだ紙が出てきました。
(当時は女性の外出は皆モンペだったと思いますが、幸子さんの表現をそのまま使いますね)
「○○村○○ー○ 国鉄○駅勤務 大森郁太郎 」
紙にはそう書いてありました。
幸子さんが姉にこのことを話すと、
「あんたに付け文をくれる人がおるとはねぇ」
と笑われました。
その後、幸子さんは電車に乗るたび大森郁太郎さんと切符を拝見のフリをして文の交換をしました。自分のこと、家族のこと、色々文に書きやり取りをしました。
幸子さんの家は江戸期から代々続く酒問屋。
郁太郎さんの住む村は山間部で、彼は農家の長男。厳しかった幸子さんの父がそんなところへ娘を嫁がせる筈はありません。
昭和19年、いつものように電車に乗り幸子さんは買い出しに行き、郁太郎さんから何通目かの文を貰いました。
文には「○日に○○で会いませんか」とありました。
戦争が激しくなり、若い郁太郎さんにも遂に赤紙が来ました。
「俺はお国のために戦ってきます。生きては戻れないと思う。が、もし生きて戻ることができたら、夫婦になってください」
と、幸子さんに言いました。
幸子さんは、ただ頷くことしかできなかったそうです。そして、
「ご武運を」
としか言えなかったそうです。
その晩、寝ずに御守り?を縫い、それを持って郁太郎さんの家の最寄り駅へ行ったそうですが、彼は出征してしまっていました。
幸子さんの弟もお兄さんも出征しました。
幸子さんの住む村の隣の市でも大きな空襲があり、あたりは一面焼け野原となり、たくさんの人が亡くなりました。
そして、終戦。
幸子さんは郁太郎さんの行方が気になりいてもたってもいられませんでした。
そんな時、海軍の将校さんだった幸子さんのお兄さんも帰ってきました。
幸子さんの弟はまだ行方がわかりません。
そして、郁太郎さんも……。
そんな折、幸子さんの同級生の△△くんが戦地から帰って国鉄の□駅に勤めているとうわさに聞きました。
△△くんなら郁太郎さんのことを何か知っているかも一一。
幸子さんは△△くんに会いに行き、郁太郎さんのことを尋ねました。
△△くんは、郁太郎さんのことを知っていました。そして、こう続けました。
「あいつなら戦死したよ」
と・・・。
郁太郎さんは、すらりと背の高い、整った顔立ちの、今でいうイケメンな男性だったそうです。
優しくて笑顔も素敵だったようです。
😊😌😊😌😊😌😊😌😊😌😊😌😌😊😌😊😌😊😌😊
私「ねぇ、幸子さん。郁太郎さんが死なずに戦地から生きて帰って来たら二人は結婚していたの?」
幸子さん「…どうじゃろうね。…しなかったと思う。向こうは○○村(郁太郎さんの実家)の農家の、しかも長男だもの。うちのお父さんが許さなかったと思う」
私「じゃあ、もしそうだったら二人は駆け落ちしていた?」
幸子さん「……さぁ。郁太郎さんが戦死してしまったから、わからんね」
幸子さんは、郁太郎さんのお墓に行きたかった。でも、できなかった。
一度、家族に内緒で○駅に行き、郁太郎さんの家を聞きましたが家族は母親が亡くなったらしいということくらいしかわかりませんでした。
その後幸子さんは復員してきた海軍の少尉さんという男性とお見合い結婚をしました。
その男性が、私の母方の祖父です。
祖父のことは尊敬しています。
が、幸子さんが郁太郎さんと結婚していたら、また違う人生を歩んでいたかも知れませんね。
戦争で亡くなられたすべての方々のご冥福をお祈りいたします。
祖母はオン年94歳でもう認知症?みたいになってるので話せません。
なので私が昔祖母から聞いた話を書き残しておきたいと思います。
昭和18年。戦争も激しくなってきた頃でしょうか。
7人兄弟の5女だった祖母(仮に幸子さんとします。当時20前後)は電車で町に買い出しに出ていました。
帰りに切符を拝見、と若い駅員さんがやって来ました。
その時に、その若い駅員さんに
「どこで降りるのですか?」
と聞かれたので、幸子さんは、
「○○駅です」
と答えました。背が高く整った顔立ちの凛凛しい男の人でした。好男子というんですかね。
帰宅して着物を畳んでいると、袂から折り畳んだ紙が出てきました。
(当時は女性の外出は皆モンペだったと思いますが、幸子さんの表現をそのまま使いますね)
「○○村○○ー○ 国鉄○駅勤務 大森郁太郎 」
紙にはそう書いてありました。
幸子さんが姉にこのことを話すと、
「あんたに付け文をくれる人がおるとはねぇ」
と笑われました。
その後、幸子さんは電車に乗るたび大森郁太郎さんと切符を拝見のフリをして文の交換をしました。自分のこと、家族のこと、色々文に書きやり取りをしました。
幸子さんの家は江戸期から代々続く酒問屋。
郁太郎さんの住む村は山間部で、彼は農家の長男。厳しかった幸子さんの父がそんなところへ娘を嫁がせる筈はありません。
昭和19年、いつものように電車に乗り幸子さんは買い出しに行き、郁太郎さんから何通目かの文を貰いました。
文には「○日に○○で会いませんか」とありました。
戦争が激しくなり、若い郁太郎さんにも遂に赤紙が来ました。
「俺はお国のために戦ってきます。生きては戻れないと思う。が、もし生きて戻ることができたら、夫婦になってください」
と、幸子さんに言いました。
幸子さんは、ただ頷くことしかできなかったそうです。そして、
「ご武運を」
としか言えなかったそうです。
その晩、寝ずに御守り?を縫い、それを持って郁太郎さんの家の最寄り駅へ行ったそうですが、彼は出征してしまっていました。
幸子さんの弟もお兄さんも出征しました。
幸子さんの住む村の隣の市でも大きな空襲があり、あたりは一面焼け野原となり、たくさんの人が亡くなりました。
そして、終戦。
幸子さんは郁太郎さんの行方が気になりいてもたってもいられませんでした。
そんな時、海軍の将校さんだった幸子さんのお兄さんも帰ってきました。
幸子さんの弟はまだ行方がわかりません。
そして、郁太郎さんも……。
そんな折、幸子さんの同級生の△△くんが戦地から帰って国鉄の□駅に勤めているとうわさに聞きました。
△△くんなら郁太郎さんのことを何か知っているかも一一。
幸子さんは△△くんに会いに行き、郁太郎さんのことを尋ねました。
△△くんは、郁太郎さんのことを知っていました。そして、こう続けました。
「あいつなら戦死したよ」
と・・・。
郁太郎さんは、すらりと背の高い、整った顔立ちの、今でいうイケメンな男性だったそうです。
優しくて笑顔も素敵だったようです。
😊😌😊😌😊😌😊😌😊😌😊😌😌😊😌😊😌😊😌😊
私「ねぇ、幸子さん。郁太郎さんが死なずに戦地から生きて帰って来たら二人は結婚していたの?」
幸子さん「…どうじゃろうね。…しなかったと思う。向こうは○○村(郁太郎さんの実家)の農家の、しかも長男だもの。うちのお父さんが許さなかったと思う」
私「じゃあ、もしそうだったら二人は駆け落ちしていた?」
幸子さん「……さぁ。郁太郎さんが戦死してしまったから、わからんね」
幸子さんは、郁太郎さんのお墓に行きたかった。でも、できなかった。
一度、家族に内緒で○駅に行き、郁太郎さんの家を聞きましたが家族は母親が亡くなったらしいということくらいしかわかりませんでした。
その後幸子さんは復員してきた海軍の少尉さんという男性とお見合い結婚をしました。
その男性が、私の母方の祖父です。
祖父のことは尊敬しています。
が、幸子さんが郁太郎さんと結婚していたら、また違う人生を歩んでいたかも知れませんね。
戦争で亡くなられたすべての方々のご冥福をお祈りいたします。
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