Hのマウンティング。③
一人目待ち
30代後半
ART(体外受精など)
2018/11/17 20:31
ふと気付くとグループラインに132件メッセージが届いていた。きっかけはH。
「どもー
今日、日帰りで子宮内容物除去術してきました✨
サクッと終わって、元気にしてまーす😉」
医師から流産を告げられた後「はーい」と簡単に返事して診察室を出たもんだから、看護師から追いかけられて事の重大さを説かれたとか、手術直後には、最近購入したばかりのマイホームの用事をかたっぱしから片付けてスッキリしたとか。旦那様がやっと正社員登用されて念願叶ったんだと。
・・・強がりだとばかり思っていたけど他メンバーが言うように『軽い』・・・。
それは本人も認めるところではあるんだけど😥
慎重な婚活女子に「私の軽さを分けてあげたい」って自負するほどだ。
Hはその軽さから男に不自由しなかった。
中には確かにいい人もいた。
でもそのいい人でさえ「彼私にフラれて他の人と結婚したのに私のこと忘れられないんだって」とHの自己顕示欲を満たすネタと化した。
目に余る態度にライングループのメンバーみんなからこっぴどくしぼられてたな。
数年後、Hは結婚した。
当時お相手は非正規雇用で、さらには国際結婚。彼女のご両親は猛反対し、経済的援助と親戚付き合いを一切しないという条件で、承諾を得た。
第一子が生まれる時でさえ、自然分娩から帝王切開に突如切り替えなければならなくなり、緊急で手続きを親御さんにお願いしたところ渋られた。
飼い猫の避妊手術と重なっているからと。
何とか頼み込み、サインにだけは応じたもののそそくさと帰って行ったそうだ。その後も着替えを届けに来た程度で生まれたばかりの初孫を見る様子はなかった。驚きを隠せないスタッフから「そんなに忙しいお仕事されてるの?」と尋ねられることもめずらしくなかったという。
Hは正真正銘自立した女性になった。
「こんなの大したことない」と『軽く』なければやってられなかったかもしれない。Hが身を置く、自ら選んだ環境と正反対だから、私をマウンティング・・・?
そんなの分かんないじゃん。明日は我が身だよ。
メッセージ132件の間にすっかり別の話題になっていたし私は触れることも蒸し返すこともしなかった。
流産を宣告された時私はその場で嗚咽した。「子供を授かれるなら何でもします。私の何がいけなかったんでしょうかーー教えてください!」いつもはクセのすごい先生も、私の声に静かに耳を傾けてくれた。
なかなかショックは癒えなかったけど、自分がこうなって初めて、第一子を産んで亡くした両親がそれから私ができるまでに六年費やした両親が、夫婦ふたり力合わせて乗り越えてきた苦労を、ほんの少し理解して共感できるようになった。
Hは何を思うのかなーー
「どもー
今日、日帰りで子宮内容物除去術してきました✨
サクッと終わって、元気にしてまーす😉」
医師から流産を告げられた後「はーい」と簡単に返事して診察室を出たもんだから、看護師から追いかけられて事の重大さを説かれたとか、手術直後には、最近購入したばかりのマイホームの用事をかたっぱしから片付けてスッキリしたとか。旦那様がやっと正社員登用されて念願叶ったんだと。
・・・強がりだとばかり思っていたけど他メンバーが言うように『軽い』・・・。
それは本人も認めるところではあるんだけど😥
慎重な婚活女子に「私の軽さを分けてあげたい」って自負するほどだ。
Hはその軽さから男に不自由しなかった。
中には確かにいい人もいた。
でもそのいい人でさえ「彼私にフラれて他の人と結婚したのに私のこと忘れられないんだって」とHの自己顕示欲を満たすネタと化した。
目に余る態度にライングループのメンバーみんなからこっぴどくしぼられてたな。
数年後、Hは結婚した。
当時お相手は非正規雇用で、さらには国際結婚。彼女のご両親は猛反対し、経済的援助と親戚付き合いを一切しないという条件で、承諾を得た。
第一子が生まれる時でさえ、自然分娩から帝王切開に突如切り替えなければならなくなり、緊急で手続きを親御さんにお願いしたところ渋られた。
飼い猫の避妊手術と重なっているからと。
何とか頼み込み、サインにだけは応じたもののそそくさと帰って行ったそうだ。その後も着替えを届けに来た程度で生まれたばかりの初孫を見る様子はなかった。驚きを隠せないスタッフから「そんなに忙しいお仕事されてるの?」と尋ねられることもめずらしくなかったという。
Hは正真正銘自立した女性になった。
「こんなの大したことない」と『軽く』なければやってられなかったかもしれない。Hが身を置く、自ら選んだ環境と正反対だから、私をマウンティング・・・?
そんなの分かんないじゃん。明日は我が身だよ。
メッセージ132件の間にすっかり別の話題になっていたし私は触れることも蒸し返すこともしなかった。
流産を宣告された時私はその場で嗚咽した。「子供を授かれるなら何でもします。私の何がいけなかったんでしょうかーー教えてください!」いつもはクセのすごい先生も、私の声に静かに耳を傾けてくれた。
なかなかショックは癒えなかったけど、自分がこうなって初めて、第一子を産んで亡くした両親がそれから私ができるまでに六年費やした両親が、夫婦ふたり力合わせて乗り越えてきた苦労を、ほんの少し理解して共感できるようになった。
Hは何を思うのかなーー
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